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大賞 | 演劇 | 杉良太郎 | つねに大衆演劇に取り組み、その人気は抜群。特に「旅鴉半次郎ふりむけば夕陽」(東京、明治座 昭和54年10月特別公演)における、見事な演技に対して。 |
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優秀賞 | 演劇 | 市川猿之助 | 旺盛な行動力と新鮮なアイディアにより歌舞伎と観客を結ぶ努力が結集し、今年度は「伊達の十役」による早替りで、大当たりをとるとともに、洋楽によるグランド歌舞伎、映画を挿入した「奥州安達原」などで、演劇界に革新の風をまきおこした。 |
優秀賞 | 邦楽舞踊 | 西川鯉三郎 | 女形を得意とし、名古屋舞踊界をふり出しに現在では、舞踊界の重鎮として活躍中で、絶えず新風話題を送り込む。 |
優秀賞 | 邦楽舞踊 | 日本橋きみ栄 | 5歳から義太夫をはじめ、16歳で清元の名取りとなる。その流麗でイキなうたいぶりは他の追従を許さなかった。その後も最年文化財として端唄、俗曲を後世に遺すため3年がかりで200曲ばかりの曲を吹きこんだ。 |
優秀賞 | 郷土芸能 | 稲田かえ | 八丈島に戦国時代(関ヶ原の合戦)から伝えられると言われる、八丈太鼓はやしを伝承する最年長者である。現在も太鼓を打ちつづけ、後進の指導につとめている。 |
優秀賞 | 舞台装置 | 杉本多三郎 | 大正2年5月、舞台大道具修行のため、叔父中村儀右衛門の門下に入り、舞台大道具を担当、以後大道具棟梁として舞台大道具の製作一筋につくす。 |
優秀賞 | 音楽 | 小室等 | 昭和43年フォークグループ六文銭結成。「出発(たびだち)の歌」が第二回世界歌謡祭でグランプリ獲得、その後、「東海道五十三次」「奥の細道」と名付け、小さな会場で地をはうような、フォークコンサートを行っている、フォーク界のベテラン。 |
優秀賞 | 企画制作 | 石井ふく子 | テレビドラマのプロデューサーとしてTBS「東芝日曜劇場」を昭和33年テレビドラマの開発と向上のためにスタート。と同時に、テレビ界の多くの人材の育成につとめた。昨年度は「東芝日曜劇場1200回記念」の三時間ドラマ「女たちの忠臣蔵」を企画制作し、多大な成果をあげた。 |
優秀賞 | 企画制作 | 近藤晋 | 昭和34年NHK入局。チーフプロデューサーとして番組制作に当たる。周到で先見制のある企画で強い指導力を発揮、番組制作者として、多数視聴者の期待に応えた。とくに、制作を担当した番組では、芸術祭大賞(昭和51年度)「赤い花」、プラハ国際テレビコンクール金賞「松本清張シリーズ・中央流沙」などを受賞。担当番組「土曜ドラマ・男たちの旅路」大河ドラマ「黄金の日々」「獅子の時代」。 |
新人賞 | 音楽 | 久保田早紀 | 昭和54年CBSソニーよりシンガーソングライターとしてデビュー。遠い昔のシルクロードの旅に思いをはせ、「異邦人」と題して、自作、自演した曲が大ヒット。 |
新人賞 | 演芸 | 旭堂小南陵 | 戦後の上方講談界は先代及びその弟子が他界。このため30歳という若さにもかかわらず、定席の道頓堀、角座、新世界、新花月の演芸場に出演するかたわら、講談道場を開き一門の指導、自己の話芸も研鑚するという活躍をみせる。東京より小山陽、貞山を招き、若手の成果を問う。小南陵の話題によって、風前の灯火だった上方講談界を生きかえらせた。 |
研修助成賞 | 東京少年少女合唱隊 | 昭和26年7月、古典曲、宗教曲を目標に長谷川新一氏が結成した30人の日本最古の合唱隊である。昭和39年にニューヨークのリンカーンセンターホールでのこけら落としに日本代表として出演以来、世界各国で歌う。他に財源を求めず、まったく個人的な活動で新一氏のあと長女の冴子さんがオーナーを引き継いでいる。世界児童合唱連盟の日本支部である。 |